『新潟県中越地震』被災地での活動報告(2)「ライダーの声」を追加しました。
バイク便ライダーとして
ソクハイでは9年前の「阪神・淡路大震災」において、オートバイでのレスキューボランティアをした実績があります。
自分自身はその当時ソクハイに在籍しており、そうしたボランティア経験がありました。
今回残念にも、その当時の震災と規模を同じくする地震が新潟で発生し、バイク便ライダーとして何かお手伝いできることがあるはずだという気持ちを抑えきれず、新潟へ向けて出発しました。
現場の状況
2004年10月29日
23:00
少しでも長く現地で活動ができればと、日中の稼働終了後、そのまま横浜の港北営業所を出発しました。
2004年10月30日
3:00
新潟市十日町市に到着。国道117号で小千谷市に向かいました。途中通行止め箇所が12箇所。緊急車輌のみが通行可能の中、現地でのボランティア活動を目的としたものである旨を伝え交渉を行なったところ、通行を許可して頂きました。
5:00
小千谷ボランティア本部に到着するが、受付は8:30からとのこと。そのまま待っていても仕方がないので、市内を探索してみることにしました。
やはり被害の大きかった地区であることから、報道関係の車輌が目立ちます。そこで、中継の方に取材テープの搬送要望などがないか声をかけてみました。今回ご要望はありませんでしたが、現在も交通規制は続いており、通行可能な数少ない道路に車輌が集中しているため、各所で渋滞が発生しています。オートバイの機動力はこうした状況でこそ本領が発揮できることを、アピールしました。
探索をして分かったことですが、小千谷市内は確かに被害状況はひどいものの、返って救援活動・復旧作業は思ったよりも進みはじめており、川口町へ移動することにしました。
7:30
川口町ボランティア本部に到着、ボランティア受付にて登録を済ませました。今回オートバイの利点を生かし「災害状況調査班」に在籍し、お手伝いすることとなりました。
川口町では至る所で道路が寸断し、ボランティア活動をする人材自体も異常に少ない状況であったため、登録直後からすぐに仕事が振り分けられ、活動を開始することができました。
「災害状況調査班」の活動は、主にふたつ。指示を受けた被災現場に向かい、写真撮影を含めた被害状況の調査を行なうこと。もうひとつは、各避難所で生活していらっしゃる方を訪ねチラシを配布、支援物資の運搬や各種作業を含めた要望をお伺いし、情報を集めて報告書をあげるという活動です。今回は相川・武道窪・木沢・峠・牛ヶ首・竹田にて状況調査を行いました。ここではオートバイがフルに活用できました。写真の通りに、倒壊した家屋の被害はもちろんですが、道路のアスファルトは大きくめくれ上がりバラバラに割れているところもあれば、地中に埋っているはずのマンホールが液状化現象で隆起してしまっているところ、今にも倒れそうな電柱など、被害に遭われた方々が通常の生活に戻られるには、まだ大幅な時間を要すのではないかと感じずにはいられませんでした。
16:00
依頼された調査は全て完了。本部にて各方面から送られた食料・衣服・仮設トイレなどの資材搬入のお手伝いを引き続き行いました。
18:00
ミーティング終了。
20:00
未だ続いている余震と雨のため土砂崩れが発生。
20:30頃
ようやくボランティア本部を出発することができました。
途中越後川口インターチェンジにて、地元警察のご好意により緊急車輌として走行をさせて頂くことができました。
2004年10月31日
2:30
帰宅。
ボランティア活動を行ってみて
今回個人としてボランティアに参加しましたが、これだけの大きな震災ともなると、救援物資そのものももちろんですが、それを搬送する手段がないと折角の物資も役に立ちません。
しかし大きく地割れをおこしている道路では、通常の四輪車輌での走行は困難です。
このボランティア活動での経験が、改めて震災時のオートバイの機動力を見直すきっかけとなりました。